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世界と戦う意識

コーチとして、世界と戦う意識は持ち続けていたいと思う。
正直、今回の合宿は昨年よりは緊張感が少ない。
世界一を、正面切って狙っていけるものではないからだ。
選手の育成を兼ねた合宿でもある。

私から見たら8人の選手。
選手から見たら一人のコーチ。
それぞれの立場で立っているポジションが違えば、物事の捉えたかも違う。

下がっていって目線をあわせることも必要だ。そうでないと育成はできなくなるからである。
強化ということになると、どうだろう。
目線を下げてもいいものか?
多少下げなくてはいけない現状はあるが、余り下げたくないのが私の心情である。

選手もコーチも必死に努力をしたら、人をねたむなんて余裕はなくなると思う。
ねたんだり人に対していらいらしているうちは、「木鶏たらず」です

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

木鶏(もっけい)とは、荘子に収められている故事に由来する言葉で、木彫りの鶏のように全く動じない闘鶏における最強の状態をさす。

故事では紀悄子という鶏を育てる名人が登場し、王からの下問に答える形式で最強の鶏について説明する。

紀悄子に鶏を預けた王は、10日ほど経過した時点で仕上がり具合について下問する。すると紀悄子は、 『まだ空威張りして闘争心があるからいけません』 と答える。

更に10日ほど経過して再度王が下問すると 『まだいけません。他の闘鶏の声や姿を見ただけでいきり立ってしまいます』  と答える。

更に10日経過したが、 『目を怒らせて己の強さを誇示しているから話になりません』 と答える。

さらに10日経過して王が下問すると 『もう良いでしょう。他の闘鶏が鳴いても、全く相手にしません。まるで木鶏のように泰然自若としています。その徳の前に、かなう闘鶏はいないでしょう』 と答えた。

上記の故事で荘子は道に則した人物の隠喩として木鶏を描いており、真人(道を体得した人物)は他者に惑わされること無く、鎮座しているだけで衆人の範となるとしている。

木鶏という言葉はスポーツ選手に使用されることが多く、特に日本の格闘技(相撲・剣道・柔道)選手が好んで使用する。横綱の双葉山がこの言葉を好んだことは有名である。

コーチとして木鶏たらんと欲す。

そのレベル・年齢なりの指導をできるように心がけたい。
それと、ナショナルチームに入ればヘッドコーチとして、代表コーチとして行動するので今のうちはできるだけ育成をやっておきたい。
ナショナルチームに入れる実力のある選手は、後輩の面倒を見ること、自分力を高めることを心がけてもらいたい。

以上。

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コメント

No title

スポーツではありませんが、自分も指導者の立場です。
指導者でも有り、現役のプレイヤーでもあります。
今回の平井さんのブログ、とても心に響いています。

木鶏たらんとす 座右の銘にしようと思います。
実際、まだまだ全くその域には程遠い
邪念、雑念の多い未熟者です。
大切な事を 気づかせて頂きました。
有難うございました。


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